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黒い茶碗

「お互い、嘘だけはつかないようにしようね」
それは、結婚の際に僕と妻が交わした、ごくありきたりな約束だった。

九州で育った僕は、東京の大学に進み、卒業後は都内の大手書店に入社した。
妻と出会ったのもその時だった。僕より一年先輩の妻は、朗らかで誰からも愛されていた。
社員旅行で同じグループになった僕たちは意気投合し、約一年間の交際を経て結婚した。

結婚後、いくら気が合うといっても、小さなケンカはいくつもあった。
しかし、それは「嘘だけはつかない」という約束を二人が守ったためであり、
僕も妻も言いたいことを言った後は、すぐに仲直りしていた。

ある秋の連休、僕と妻は八ヶ岳へ旅行に出かけた。
僕が、昔ドラマで見た八ヶ岳のホテルに泊まってみたいと言っていたことを思い出し、
妻が計画を立ててくれたのだった。

澄んだ秋の高原の空気は、僕たちを心から癒してくれた。
そして翌日は、陶芸工房で陶器作りに挑戦した。
食べることが大好きだった僕たちは、お互い、相手が使う茶碗を作ることにした。

粘土で紐を作り、それを茶碗の型に積み重ねて隙間をならし、
出来上がった茶碗に色を付けて焼く。
陶芸は初めて体験する僕たちでも、簡単にできるものだった。

「サプライズのために、お互いのお茶碗を見ないようにしようよ」
そんな妻の提案で、僕と妻は工房内の別々の作業台で茶碗作りに取り組んだ。

僕は、白くて華奢な妻の手に合うような小ぶりの茶碗を作り、薄い翡翠色の釉薬を塗った。
妻も、僕の方をちらちらと見ながら茶碗を作っている。
その様子が、なんだか小さな子どものようで微笑ましかった。

インストラクターによると、焼きあがった茶碗が家に届くまで二週間ほどかかるという。
茶碗を作り終えた後、発送の手配をして、僕たちは陶芸教室を後にした。
それから二週間後。会社から帰ると、テーブルの上に小さな段ボール箱が置かれていた。

「おかえりなさい!この間のお茶碗、今日届いたよ!」
妻の弾んだ声に、僕の心も踊った。

「じゃあ、いっせいのせで開けよう!」
僕たちは、お互いの箱を同時に開けた。最初に声を上げたのは妻だった。
「うわあ、きれい!形もすごくいいね!ありがとう!」

妻の反応に満足しながら、僕も梱包を広げてみた。すると、中から黒い茶碗が現れた。
大ぶりで、お世辞にもきれいとはいえない不格好な茶碗だった。
「どう?こうちゃんの手に合うように作ったんだよ!」

期待していた物とは全く違う茶碗に、僕は正直、戸惑ってしまった。
その様子を、妻は敏感に感じ取ったようだ。
「あれ、気に入らなかったかな……?」

不安そうな面持ちの妻を見て、僕は咄嗟に小さな嘘をついた。
「ううん、とっても僕好みの茶碗だよ!ご飯を食べるのが楽しみ!」
「よかった!早速、今晩から使おうね!」

以来、我が家の食卓では、その茶碗が使われるようになった。
するとどうだろう。最初は僕の趣味には合わないと思っていた黒い茶碗が、
次第に自身に馴染んでいくことに気付いた。

よく見れば、白いご飯とのコントラストも食欲をそそる。
ごつごつとした無骨な形も、温かみがあり、僕の大きな手に合っている。
妻は、僕のことを実によく考えてこの茶碗を作ってくれたのだと感心した。

食事のたびに、結婚当初の妻との約束を思い出す。
そして、一度だけ約束を破って良かったとしみじみ思いつつ、
今日も妻の手料理に箸を伸ばす。

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某エッセー賞、落選。テーマは「約束」で、ノンフィクションしばり。
敗因。前年の大賞とモチーフがかぶる。主観性にすぎ、文章がのっぺりしてる。
そしてなにより、既に離婚してる。




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